いよいよ再来年のNHK大河ドラマのタイトルと出演者が発表されましたね。
再来年の大河ドラマは”いだてん”で、主人公はマラソン選手の金栗四三さんと水泳の田畑政治さんの2人です。
金栗四三役を中村勘九郎さんが、そして田畑政治役を阿部サダヲさんが演じるそうです。
今回は”いだてん”主人公の一人金栗四三の生い立ちや名言、あだ名、グリコとの関係、そして箱根や世界記録の功績を中心に見ていきましょう!
金栗四三の生い立ちや名言・あだ名、グリコとの関係!
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— ががががぶ (@chi22e) 2017年4月3日
それでは再来年の大河ドラマ”いだてん”の主人公で中村勘九郎さんが演じる金栗四三さんの生い立ちから見ていきましょう。
金栗四三さんは1891年8月20日に熊本県玉名郡春富村で生を受けました。
地元の旧制玉名中学を卒業後、1910年に東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学しました。
1912年にストックホルムオリンピックに出場して日本人初のオリンピック選手になった後、1920年のアントワープオリンピック、1924年のパリオリンピックでも日本代表として出場するなど日本を代表するマラソン選手です。
1920年にはあの箱根駅伝が開催され金栗四三さんも開催に向けて尽力され、晩年は故郷の熊本県玉名市で暮らし、1983年11月13日に92歳でお亡くなりになられました。
ところで、金栗四三さんの気になるあだ名ですが”いだてん”かと思いきや、”お釈迦さま”なんだそうですね。
金栗さんはいつもニコニコしていたからだそうで、この”お釈迦さま”のあだ名に金森さんの人柄がしのばれますね。
ちなみに大阪道頓堀のあの有名なグリコの”走る人”マークのモデルは金栗四三さんだと言われています・・
なお金栗さんの名言では「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」が有名ですが、話の流れ上そのルーツは後述させていただきます。
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金栗四三(いだてんモデル)の箱根や世界記録の功績
ここからは金栗四三さんの箱根や世界記録の功績を見ていきましょう!
まず箱根駅伝から見ていきましょう。
箱根駅伝と富士登山駅伝は金栗四三さんが旗振り役となって実現した駅伝で今も日本の正月の風物詩の一つとなっています。
金栗四三さんの箱根駅伝設立の功績を記念してあの”金栗杯”で有名な”金栗四三杯”が作られました。
富士登山駅伝では一般の部優勝チームに金栗四三杯が、箱根駅伝では2004年から最優秀選手に金栗四三杯が贈られています。
続いてオリンピックでの金栗四三さんの功績を見ていきましょう!
第5回 ストックホルム大会(1912年(明治45年)) – 一時行方不明 (最下位(54年8ヶ月6日5時間32分20秒3))
第7回 アントワープ大会(1920年(大正9年)) – 16位(2時間48分45秒4)
第8回 パリ大会(1924年(大正13年)) – 途中棄権引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/金栗四三
ストックホルム大会は一時行方不明となり、タイムはなんと・・・
・・・54年8ヶ月6日5時間32分20秒3
・・伝説誕生です!
ことの発端は、1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックのマラソン競技に出場した金栗四三さんですが、レースの途中で日射病で倒れてしまい金栗さんが目を覚ましたのは翌朝でした・・
この時、金栗さんはレースをあきらめて帰国せざる終えませんでした。
マラソンレース中にいなくなった日本人がいたと開催地のスゥエーデンではしばらく伝説として語り次がれながら・・・
・・・
・・それから55年後の1967年(昭和42年)金栗四三さんはストックホルムオリンピック開催55周年記念式典にオリンピック委員会から招待されました。
そこで衝撃の事実が・・
・・55年前のストックホルムオリンピックで金栗四三さんの棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっていなかったのでどうやら「競技中に失踪し行方不明」として処理されていたようです・・
オリンピック委員会がこの事実に気づいて、金栗さんを55年記念式典でゴールさせる演出?!を思いついてしまいました。
その日金栗さんは余裕で競技場を走り用意されたゴールテープを切って55年かかったゴールを飾りました。
タイムは54年8か月6日5時間32分20秒3・・・
・・絶対破ることのできないオリンピックで最も遅い記録の誕生です!
スエーデン人もなかなかイカした演出するなぁと持ってしまったのは私だけでしょうか?
「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた。54年8か月6日5時間32分20秒3という記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている。金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントした。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/金栗四三
・・「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」・・・
ん〜〜・・これぞ名言ですね・・・・渋すぎデス・・
・・・・・
なぜなら、このセリフの長い道のり(55年間)は日本が戦争に突入してペシャンコになり、焼け跡から再び立ち上がって経済大国になっていった激動の時代なのですから・・
まとめ
いかがでしたでしょうか。
以上、金栗四三さんの生い立ちや名言、あだ名、グリコとの関係、そして箱根や世界記録の功績を中心に見てきました。
再来年の大河ドラマなので公開までまだ時間がありますが個人的に今から楽しみです。
なぜなら大河ドラマは私の住むジャカルタでも見られるので、毎週楽しみに見てます(日本ではあまり見てなかったけど・・)
再来年の大河ドラマ”いだてん”は戦国時代でも幕末でもない近現代の時代を始めて扱った作品となるので、大河っぽくならないんではないかと余計な心配をしてしまった今日この頃でした。