いよいよ「炎の経営者」本日放送予定ですね。
「炎の経営者」はもともと高杉良さん原作の同名の経済小説で知られており今回ドラマ化に成功しました。
今回はこの「炎の経営者」の実話のモデルを調査しドラマの元ネタの会社について書いていきます。
「炎の経営者」の実話のモデルは誰
この後16時より、フジテレビにて「炎の経営者」が放送となります。
よろしくお願いします! pic.twitter.com/nCXOLx7YGs— 赤松義正 (@memai03) 2017年3月19日
今回のドラマ「炎の経営者」の主人公谷田部泰三の実話のモデルは日本触媒の創業者の八谷泰造(やたがい たいぞう)さんです。
八谷さんは1906年12月14日に広島県の庄原市で生まれました。
代用教員などをやりながら苦学して大阪大学を卒業して1935年に由良染料に入社し、その6年後の1941年大阪でヲサメ合成化学工業株式会社を設立ました。
ここで八谷さんはバナジウム触媒の研究を始め、無水フタール酸の工業化に日本で初めて成功しました。
これを受け同社は軍需工場に指定され業績を伸ばしていきましたが、1945年八谷さん、まさかの39歳で赤紙が来て徴兵召集されいろいろご苦労されたようです。
終戦後は芋飴などを作ってしのいで会社を維持し1947年に操業を再開、そして1949年には日本触媒化学工業に社名を変更しました。
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ドラマ「炎の経営者」の元ネタの会社はどこ
炎の経営者の元ネタの会社はこの日本触媒化学工業で、ドラマ「炎の経営者」は八谷泰造さんが操業した現在の日本触媒を山あり谷ありで経営者として発展させていく物語です。
戦後、八谷さんは元南満州鉄道株式会社のエリート技術者を採用して日本触媒の技術力の底上げを計りました。
ドラマで内田滋さん演じる神崎三郎と六角慎司さんの佐久間滋がそのエリート技術者です。
旧満鉄の技術者を迎えいれ研究に投資しすぎた結果、日本触媒の台所事情は火の車となり、富士製鉄の社長長野重雄に出資を頼み込み1950年に1,000万円の出資を受けることができました。
この長野重雄さんの役はドラマでは柴俊夫さんが演じています。
1950年代の後半には石油化学工業は隆盛をきわめ、日本触媒もコンビナートを日本各地に建造して事業を拡大していきました。
日本触媒の創業者八名泰造の経営モットーは国産技術にこだわり、その国産技術を武器に川崎市に直談判して払い下げ用地を確保し大規模工場を川崎市作った事実はドラマのとおりです。
炎の経営者のモデルの八谷泰造さん、スゴい人ですね〜・・町工場の日本触媒を世界最高水準の技術を有するグローバル・カンパニーに育てあげたのですから。
八谷さんの晩年は糖尿病を患い1970年日本触媒の社長室で倒れをのまま帰らぬ人となりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ソニーやホンダのように戦後の焼け跡から会社を創業し現在では世界企業になった会社は多数あり、日本触媒の八谷泰造さんもそう言った時代の群雄の一人でした。
生涯現役を貫いた八谷泰造さんの人生はまさに「炎の経営者」と呼ぶにふさわしいでしょう。