大道寺将司(東アジア反日戦線)の死因は病死?画像と経歴や家族は?

元東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚が亡くなったというニュースが入りました。

42年前の三菱重工ビル爆破事件の実行犯で、人生のほとんどを刑務所で過ごした人生でした。

元東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚の死因は病死なのか、そして大道寺将司の画像と経歴や家族について見ていきましょう。

スポンサーリンク

東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚の死因は病死?

昭和40年代に極左活動家として行動し、連続企業ビル爆破事件をおこして死刑判決をうけた大道寺将司死刑囚がなくなりました。

今年は

1987年3月24日に最高裁で死刑が確定してから、31年でした。

それでは、

大道寺将司死刑囚の死因から見ていきましょう。

大道寺将司死刑囚の

死因は多発性骨髄腫という病気のようです。

年齢は68歳でした。

刑務所などでの留置生活は42年の長期間に及び、人生の大半を収容施設で過ごしたことになります。

こんな人生もあるんですね・・・・

ただ、

刑務所での生活が長くなりましたが、結局死刑は執行されることなく天寿を全うされたようですね。

スポンサーリンク

大道寺将司の画像と経歴や家族

つづいて、

大道寺将司死刑囚の経歴を見ていきましょう。

北海道釧路市の出身で高校は北海道釧路湖陵高等学校を卒業しました。

高校卒業後、浪人時代から新左翼デモに傾倒しながら法政大学文学部史学科に入学。

法政大学Lクラス闘争委員会

を立ち上げたりと学生運動のリーダーの一人になりました。

その後

武力を使ったゲリラ路線をとるようになり、東アジア反日武装戦線を結成して三菱重工爆破事件などの9件の「連続企業爆破事件」を起こして逮捕、起訴されました。

1970年代のお話しです。

そこには、今の日本とはまったく異なった世界が広がっていたようです。

それでは、

大道寺死刑囚の最近の写真は見つけられなかったので、画像については下の若かりし日の大道寺死刑囚を見てみましょう。

つづいて家族関係ですが、

妻の大道寺あや子は高校時代の同級生で一緒に新左翼活動を行っていた同志でもあります。

仕事は薬剤師だったので、三菱重工ビル爆破事件では爆弾の製造に使う薬品の入手のため試薬会社に転職したりしてます。

彼女も三菱重工ビル爆破事件では見張り役などをして1975年警察に逮捕されています。

しかし、

1977年に日本赤軍のダッカ日航機ハイジャック事件の時に超法規的措置で釈放されて日本を出て今も国際指名手配されています。

なので

妻の大道寺あや子は釈放され国外に出国して、大道寺将司死刑囚はその後彼女と一度も会うことなく生涯を終えたことになります。

なくなる前、

大道寺将司死刑囚はどのように自分の人生を回想したのでしょうか?

そういえば

先日、新左翼活動家の大坂正明容疑者が逮捕されましたね。

こちらは、約40年間逃亡を続けた末の逮捕劇でした。

大坂正明容疑者についてはコチラの記事でまとめています。

↓       ↓

大坂正明の逃亡生活と逮捕状況を検証!現在の顔画像と家族や経歴は?

まとめ

いかがでしたでしょうか。

あの時代(60年代、70年代)の学生たちを突き動かした反体制の新左翼学生運動はいったい何だったのでしょうか?

学生運動の後半は急速に武力闘争方向にシフトしていったことにより、世間一般との距離が大きくなり徐々に収束していきました。

無関係の人を傷つけるテロなどは絶対容認できませんが、彼らの原点が

世界をより良いものに変えたい

という思いからだったのは間違いないのかもしれません。

あの時代の理由がわかります!

↓    ↓

要チェックや!

スポンサーリンク

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

このサイトのコメント欄は意見交換や情報提供の場として使ってください。お気軽にコメントお願いします! 

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA